こんにちは、ホワイトニングと予防歯科・審美歯科・インプラントで大切な歯を守る愛媛県松山市余戸伊藤歯科医院、副院長伊藤哉江です。です。
平成25年3月31日、我が母校である今治市立美須賀中学校が統合によって66年の歴史に幕を閉じました。
少子化の流れなのか、生徒さんたちの事を考えると統合は仕方が無い事のように思えますが、やはり美須賀という言葉がなくなるのは、淋しい限りです。
24日に開かれた閉校式に兄と共に出席させていただきました。
在籍していた頃の木造校舎はないけれど、思い出はぎっしりつまっています。
現在の写真です
当時の写真です
3年の時に使った木造校舎の2階の廊下からは、吹き上げがよく見えました。
そのお堀の周りを走るのが、冬はあたりまえで・・・。
(マラソン嫌いで、走る振りして歩いていたような・・・)
この吹き上げに、3年の時、市政60周年として今治城が建立されたのを覚えています。
運動会のダンスの振り付け(?)で、夜遅く集まって練習。
体育の時間、集まりが遅いと怒られ連帯責任(?)として、全員運動場で、正座。
その間「あなたたちは、・・・」と先生の説教(?)
があったけれど、脚が痛くて苦痛に耐えるのが精一杯で小言は右から左。
早くチャイムよ鳴れと念じていた思い出があります。
今の時代なら、これって体罰?
でも、当たり前だったような時代でした。
友達とけんか(?)して石の投げ合いになり教室の窓ガラスを割ってしまい職員室に立たされて説教?小言?・・・
1年の最初の中間試験の成績表を落としてしまい友達に見られたことも・・・
(それから、まじめに勉強する事になりました)
2年の西条少年自然の家、石鎚登山にお弁当をリュックにつめるのを忘れ、ばかやね~と言った友達が、半分分けてくれました。
ありがたく、そしてすごくおいしかったと、覚えています。
バレンタインデーの日、大好きだった数学のT.A先生の机の上にこっそりチョコレートを置いておいたこともあります。
ただこれにはエピソードがあり、その時代は、校内暴力という言葉が横行し始めた時代でもあったので、先生何を思ったのか、毒入りチョコ?とカン違い?したのか、クラスの生徒全員に「これを置いたのは、お前か?」と1人1人に聞き大騒ぎになったようで・・・。
ある生徒が、私が置いていたのを見ていたらしく、「隣のクラスの越智(私の旧姓です)が置いていました~。」
とばらしてその場は、一件落着(?)になったと、後で友人から聞きました。
それと、そのチョコは、職員室でT.K先生が「先生もてますね~」と言いながら食べていたよということも友人から聞きました。
いろいろありました。
1つ1つの思い出をとっても、私は、この美須賀中学校が大好きでした。
中学3年間を、この美須賀ですごせた事は、私の誇りでもあります。
1400人以上の卒業生がいます。
いただいた記念誌の中に卒業生すべての名前と写真がありました。
(私はどこにいるでしょう?)
思い出は、1人1人それぞれですが、気持ちは同じだと思います。
美須賀中学校ありがとう。