こんにちは、インプラントと予防歯科・審美歯科・ホワイトニングで大切な歯を守る愛媛県松山市余戸伊藤歯科医院、技工士ナカムラです。
震災から二年、私は遠くから見守る事しかしていませんが、忘れる事だけはしてはいけないと思います。
気温が高くなり、黄砂、花粉、PM2.5で苦しんでいる方がたくさんいると思いますが、原発の苦しみは一年中、そして一生続くと思うと言葉を失います。
さて、そんな中先月3人の死刑執行が行われました。
法務省刑事局によると、20日時点で未執行の死刑確定者は戦後最多の137人です。
この本を読んでいて一番強く感じたのは、何のために裁判員制度をやるのかということを、実は議論されていなかったという事でした。
「裁判官心理では誤判が多いから国民参加をやるべきだ」と声高に唱え、そこから激論が始まって、裁判員制度ができました。
陪審に典型的に見られるように、完全な国民参加のもとでは誤判・免罪が増えるのは常識です。
そこで、審議会の意見書では、「誤判・免罪を減らすためにやるのだ」ということは全く言っていません。
それは真実に反するからです。
そこで審議会の意見書には、「司法の国民的基盤を確立するため」と、わけのわからないことがかいてあります。
これでは、何のためにできたのかさっぱり分かりません。
それ以上に、そもそも職業を選択する時点で、人を裁くことが出来る人は司法の分野に進み、人を裁くことが出来ないと思えば選択しないと思います。
その選択を無視されて国民として負担を引き受けなくてはならないのでしょうか?
ある被害者の父親が「失った子供の命と加害者の命、ふたりの命を背負って生きていかなくてはならない」と、言った言葉はとても重いと思います。