こんにちは、審美歯科とインプラント・ホワイトニング・予防歯科で大切な歯を守る愛媛県松山市余戸伊藤歯科医院、勤務医のササキです。
先週末は「坊ちゃんスタジアム」でプロ野球のオールスターがありましたね^^
私も8、9回は球場に入れたので独特の雰囲気を味わってきました。
松山に来てからの良い思い出になりそうです。
高校野球もいよいよ今週、来週にかけて代表が決まります。
徳島では母校の池田を始め、愛媛でも済美、西条、今治西と、層々たる学校が揃って勝ち残っていますね。
さあいよいよこの7日間のうちに雌雄は決する・・・結末やいかに!!
さて、そんなところで本題です。
今回は「屋久島登山その②」。
先週、書いてありました屋久島の山登りの中で「発見したあるもの」についてがテーマです。
そう、それは歩き始めて2時間くらいたったとき、ふと余所見をしていたときの事です。
人が住むには大変厳しい大自然の中に、あれれ?これは?
風呂? と 炊事場? の跡・・?
しかも苔むしていてかなり古い・・・
こんなところに人がかつて生活していた跡が残っていたのです。
いざ、ここを歩いてみると感じるのですが、交通手段もほとんど閉ざされていて、外界から隔離された秘境のような、そんなこの場所に何故・・・
すごく違和感を感じつつも少し周りを探索すると、その謎を解くものが出てきました。
かつてここにあった「小杉谷集落」を紹介するモニュメントや石碑が。
大正12年から昭和45年まで「屋久島国有林開発」事業のための前線基地として、屋久島杉を切り出すために存在したこの小杉谷集落。
つまりは約40年前まで人が住んでいた一帯ということになります。
「人が本当に、ここには住んでいたんだよ。危ない場所もあるけどちょっと探検してみるのも良いと思いますよ」と石碑の前で出会ったおじさんに声をかけられ、少し集落跡の内部を探索してみました。
なんでしょう、1つの文明が滅びた跡のような。
変に悲しいような時間がとまっている空間。
この場面はジブリのアニメに出てきそうな一面でした。
ラピュタの天空の遺跡のような・・・
後日、気になったので色々とこの集落について調べていると、小さいころに小杉谷集落で暮らしていた方が当時の思い出を語られている記事を発見しました。
その記事もどこに載っていたのやら今では定かではありませんが、ひとつ覚えていることがあります。
「あの自然の中ではとにかく、辛い生活の連続だった。辛い思い出しかなかった」
そう書かれていました。
今では思い出でしか語られない集落跡。
そこにもそこに住んでいた人たちの軌跡が歴史があり、大変興味をいだかせてくれるものでした。
屋久島は実に奥深い。
屋久杉の他にも、圧倒されるような大自然がまだまだありますし、またそのうちきっと旅行に行くことでしょう。
しかし、まあ、なんと言っても屋久島を旅して思ったこと。
「人間の力も自然の作り出す力には及ばない」
屋久島の大自然よ、また帰ってくるからね^^
モッチョム岳に手を振って宿のお土産のフルーツを両手に抱え、この島を後にしたのでした。